第1章 日本の符号速記の歴史
速記術発明の端緒
明治5年、アメリカ人工学博士ロバート・G・カーライルが鉱山寮に招聘され、ここでカーライル博士に出会ったことが、彼の一生を決定することになります。
ある日のこと、カーライル博士の妻から一通の手紙が届きます。ミミズの這ったような線で書かれた文字を読みながら、カーライル博士がおかしそうに笑い出したのを見て、
「ドクター・カーライル、これは何ですか」
「この文字はアメリカン・スタンダード・ステノフォノグラフィー、つまりアメリカの記音学であって、人の言葉をそのまま書き取る記号だよ」
綱紀は、かつてウィルソン家に行ったとき、夫人から見せられた『ポピュラル・エデュケーター』という雑誌の中にも同じ記号のあったことを思い出し、カーライル博士にその手紙を読んで聞かせてもらいました。それは株主総会の議事録でしたが、そこには都会の株主の言葉や、田舎の株主の方言や訛りまでもが見事に写し出され、しかも発言者の癖や教養まで感じさせるものでした。綱紀は初めて、世の中には読む文字以外にしゃべる文字があることを知りました。
「ドクター・カーライル、自分にもステノフォノグラフィーを教えてください」
「妻はこの術をよく知っているが、自分は知識がない。だから君に教えられない」
「だけど、手紙を読んでいるではありませんか」
「基本文字は読めるが、変化記号や省略記号は読めない。妻が、わざわざ基本文字だけで書いてきてくれたから読めるようなものだ」
「では、その基本文字を教えてください」
「よろしい、それはこうだ」
綱紀の心は躍った。
博士の書いた簡単な記号に驚嘆すると同時に、その記号はすべて横線、縦線、斜線、弧、点から成り立っており、その記号の法則を聞くと、なるほど、その単純な線が一つ一つ生きた「文字」として眼に写ってきたのです。
綱紀は基本文字を覚えると、次にそれを連綴することを勉強し始めるのですが、母音と子音の連綴は容易ではなく、特に母音の点と線は3段階に分けられていて、うっかり書く位置を間違えると別の字になってしまい、綱紀は自分で書いておきながら読めなくなることがしばしばでした。
初め、基本文字を教えられたときは、その簡単さに驚き、自分にも容易にできそうだと思ったのですが、いざ始めてみると、簡単ということがいかに複雑であり、非凡であり、難しいかがわかるのですが、この奇妙な記号を征服したい気持ちを捨てることはできませんでした。
そのうち彼は、このアメリカのステノフォノグラフィーを、日本語に移す発明を思いつきます。しかし、全く文脈も字体も違う日本語にそのまま当てはめることができず、昼間は鉱山の仕事に従事しながら、夜は薄暗いランプのもとで悪戦苦闘する毎日でした。
綱紀の熱心さに打たれた博士は、本国からステノフォノグラフィーに関する数冊の書物を取り寄せてくれましたが、これらの本を全部読み終わったとき、前よりもさらに大きな落胆が彼を襲いました。西洋で発明された記号は、結局、西洋のものでしかなく、日本字に移す暗示さえなかったのです。
その後も、親切なカーライルは、スペイン語のステノフォノグラフィーを発明したラングレーの記事が掲載されている雑誌を取り寄せ、日本語はスペイン語に似通ったところがあるからと、ラングレーの方式を薦めますが、結果は、前の場合と同じでした。
綱紀の希望は絶望に続き、途中でまた何度か希望が湧きますが、すぐまた絶望が襲ってくるという繰り返しでした。そして、最後の絶望がカーライル博士の突然の死でした。
彼は心身を極度に衰弱させ、治療のため明治9年9月、山を下ります。恩師ガッドフレイは、愛弟子の変わり果てた姿に驚き、親友で帝室御用医のホーフマンに依頼します。ホーフマンの適切な診断と調剤で九死に一生を得たのは、綱紀24歳の秋でした。